お酒に強くなる
“強くならない”の嘘
酒に強くなる事は可能だろうか?一般的に「アルコール耐性は先天性なので、酒を飲んでも強くならない」と言われる事が多いが、これは嘘と言って良い。この言説では「酒に強い」を「アルコール耐性」へと勝手に置き換えているが、この2つは異なる概念なので前提が間違っている。また、そもそも「アルコール耐性は変わらない」自体が科学的に正しくない可能性が高く、基本的に詐欺めいた説と認識している。
アルコールの代謝経路は幾つかあり、実証不足のモノも含めると多岐にわたる。主要な分解経路はアルコール脱水素酵素(ADH,ADH2)による物だが、これ以外にカタラーゼによる代謝やMEOS、CYP2E1による代謝が存在する。MEOSなどは飲酒量が増えると強化される。
アルコールは代謝によりアセトアルデヒドに分解され、アセトアルデヒドが悪酔いや二日酔いの原因になる。アセトアルデヒドを更に分解するにはアセトアルデヒド分解酵素(ALDH,ALDH2)が必要で、コレの活性が遺伝的に決まっていて大きな差がある。この部分のみを見て「酒の強さは遺伝で決まっていて不変」という非常に雑かつ非科学的な見解が横行している。決まっているのはALDHの働きであって「酒への強さ」ではないし、ALDHにしても試験管の中で作用させるわけではないのだから「いつ、どこで、どれだけ働くか」は遺伝要素だけで決まるわけではなく、アルコールを摂取した状況や体調など複数の要因がある。化学だけでなく生物学的な観点がなければ、人体を科学的に見ることは不可能、という事は酒の話に限らず常識である。
なぜ「科学的に言って酒を沢山飲んでも酒への強さは変わらない」という様な迷信がはびこっているのかというと、これは「アルコール依存症や急性アルコール中毒、あるいは常飲による健康被害を防ぐ為なら嘘をついて騙してもかまわないだろう」という意識があるからではないだろうか。嘘とまで言わずとも、自分の伝えたい事を有利にする科学的な事実を見つけるとそれを盾にしてしまいがちなので、そうした働きの一種と思われる。
“強さ”の定義
「酒の強さ」というのは一般的な言葉なので、まず定義というのが無い。化学的な方面から見ても、アルコール分解能を指しているのかアルデヒド分解能を指しているのかという議論がまずあるだろう。
アルコール分解能力が低いと「酔い」の症状が出やすい。顔や皮膚が赤らむ、容器になる、体温や脈拍の上昇などが起こる。酒があまり飲めない人の場合、こうした症状が出るだけで「酒に弱い」と言われる事がある。
アルデヒド分解能力が低いと「悪酔い」の症状が出やすい。顔や皮膚が赤らむのは同じだが、頭痛や吐き気が強くなり気分が悪くなる。こうした症状が強く出る人は「酒に弱い」と言われる事がある。
酒への強さ、上戸・下戸というのは「酒量」を表すと思っている人が多いと思うが、酒量というのは実は確実な指標にはならない。具体的に測ろうと考えてみればわかるが、その量は「どこまで」のんだ状態で測れば良いのかが決まらない。昔からある飲み比べなんかでは「倒れるまで飲んだ場合」か「ギブアップするまで飲んだ場合」といった所だろうが、一般的な宴席ではそこまで行かないだろう。そうすると「気持ちよく呑める範疇」とか微妙な尺度になってくる。ギブアップするまで、もかなり怪しくて、どんなに酒がのめてもギブアップは早めにする事が可能だし、精神状態によっては早々にギブアップという事もあり得る。
実際に観測されるのは症状の出方なので、どういった症状がどの程度出ているかというのも重要と思われる。例えば、科学的に言って同等の酔い方をしている人でも、黙ってしまって静になる人と、他人に絡んで暴力をふるう人と居ておかしくない。この場合、前者の方が酒に強いと判断されるのではないだろうか。つまり、症状の出具合の判断というのも、科学ではなく社会的な尺度によって一般的な「酒に強い」という認識に結びつくのだろう。
「酒は飲んでも飲まれるな」とはよく言われるが、酒に飲まれた(酩酊)状態でも意識があって飲み続けていれば「強い」と言って良いのか、飲まれない状態までが「強さ」なのか。
強くなってどうしたいのか
強さの定義自体が曖昧という事が分かった以上は「お酒に強くなる(なりたい)」と言った場合に、どういう強さを求めているのかをキチンと考える必要がある。
酒に強くなりたい動機というと「弱すぎて酒宴に出られないので何とかしたい」「ある程度は飲めるが男らしさをアピールするために大量に飲みたい」「恥ずかしい酔い方をするので何とかしたい」など色々考えられる。この動機の違いは対策にも関わってくる所なので重要。
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